こんにちは。堀之内です。
前回のブログ記事で今年のBeingワークショップについて想うことを書いているうちに、この30年の私のワークショップの歩みを思い出しました。
古参の方は一緒に歩まれてきましたからご承知かもしれませんが、特に大学の仕事から離れて以降、ビジネスの世界で組織のリーダー・幹部社員として活躍されている方々が私のトレーニングに強く関心を持たれるようになり、新しい顔ぶれが増えてきました。
そのような方々には、どうして私が今、こういうことをやっているのか、中々お伝えする機会がありませんので、ちょっとブログでご紹介したくなりました。
[Being ワークショップの始まり
スキルトレーニングからBeingワークショップへ]
私がまだ30代半ばのころ、初めてのワークショップを神奈川で開催しました。当時の名称は「自己成長ワークショップ」です。懐かしく感じられる方もお出ででしょうね。
その当時、私は「目黒こころのケア研究所」という家族療法の相談室を開業したところでした。ワンウェイミラーと録画機材を備えた、当時としては最先端の施設で、時に大学院生たちを共同セラピストとして迎え、臨床を行っていました。
その実践をお知りになった方とのご縁があり、介護現場の援助職スタッフや家庭裁判所の調査官の方々に呼んで頂き、研修講師もお受けしていました。私も老人ホームで心理職をしていたので、彼らが必要としているのは知識ではなく、スキルトレーニングだということは十分知っていた。なので、研修内容はスキル、つまり問題を解決するための聴き方の手順をお教えしました。
これが今思うとスキルトレーニングの原点でもあります。
ただ、彼らは中々優秀で、そのようなスキルトレーニングでは足りないような問題意識をお持ちの方が多くいらっしゃった。
手順だけで解決しえない、人間の深い問題を扱わざるを得ないような、そういうケースが介護や裁判・審判・調停にかかわる方たちには多かったのかもしれません。
手順を学ぶんじゃなくて、自分自身を向上させる必要がある。その問題意識に応えていこうと思いました。
ちょうどその頃、私はエリック・マーカス先生や国谷誠朗先生といった最先端のトレーナーの元で学んでいました。ゲシュタルト療法やサイコドラマ、NLPなど色々な手法を学び、個人ワークという誘導イメージを使ったアプローチで、自分自身の内的問題(Unfinished Business)を解消することも習得し始めていました。

故国谷誠朗博士と箱根のホテルにて
個人ワークで自分自身の問題を解消するというのは、セラピストのリードを受けながら自分の中にある解決手法を見出していくということでもあるから、対人援助の仕事に携わる人間が個人ワークを受けることは、クライエントの問題解決に直結します。
ただ、こうやって自分が学んだものは、ただ臨床で使うだけでなく、自分で教えてこそ身になるだろう、とも思いました。
そこで、私がそのプログラムを提供し、参加者の方に体験してもらうという課題学習型のワークショップを開催し、福祉や司法の方をお誘いしたのが、「自己成長ワークショップ」でした。
今思うと、30代半ばでこんなことを始めるなんて、大冒険。生意気、とも言えるかもしれない。
でも、そんな早い時期から始めていたからこそ、今のオリジナルなワークショップに至るような経験・知恵・センスを磨き、蓄積してこられました。
[プログラム内容の変化]
初期のプログラムは、学んだ手法を取り入れて行っていました。与えられた課題をグループで解いていくことで個々の気づきが促されるという性質のもので、フィンガーペインティングとか、そういったことを一緒にやったりもしました。つまり、“○○派のやり方を教える”というやり方をしていました。
けれど、次第に私自身が面白くなくなってきた。例えば、ゲシュタルト療法のように感情を取り扱うアプローチをしていると、毎年同じようなテーマを出す人たちがいる。“親への怒りがあります”という人がいると、親に対する怒りのワークをする。ゲシュタルト療法では、テーマに対してある程度定型のパターンで取り組むので、それを提供する。で、解消されたかと思っていると、翌年も同じ参加者が同じテーマを出してくる。“この人のテーマ、去年もやったよ”という想いになる。さらに3年目にまた同じようなテーマをもってその方が参加されるとなると、“過去2年のワークショップは何だったんだ”と私自身がなる。うんざりしてくる。否定的な感覚の状態でした。“もしかしたら、このワークショップそのものが、ゲーム(交流分析の用語。こじれた人間関係やパターン化された対人トラブルを引き起こす自滅的なコミュニケーションのこと)のように使われている”と感じ始めた。習ったことをそのままやることの限界や、つまらなさ、ばかばかしさを覚えるようになった。
それじゃあ面白くない。毎年繰り返されることにうんざりしていて、そういう自分に気づいていて、”違うやりかたをしたい“と思い始めた。そしてアプローチを工夫していったら、アイデアが湧いてくるようになった。その一つに『変身のワーク』というのがあって、自分がやったオリジナルのワークで、自分のアプローチが変わり始めたきっかけとなったから、今でもよく覚えています。
“既存のやり方を学び、その通りにやる”というのから、全然違ってきて、個人ワークが自分にとっても、参加者にとっても面白くなっていった。トレーナーの私も楽しいし、ワークを受けている人も楽しいし、それをオブザーバーとして見ていたり、時には協力者の役割でワークに加わったりする参加者にとっても楽しい。そして、そういう風に楽しく、おもしろいものは、”変化”に影響する、とても役に立つ、ということを私はしみじみ感じました。
そして、参加者がちゃんと変化する、成長するというワークショップはとてもクリエイティブで、全くうんざりしませんでした。
もちろん、若いときは学会発表でも何でも「○○療法の△△を使って…」ということがいっぱいあって、そういう時期は必要と考えています。
学んだものをそのままやってみる、模倣するという時間です。「守破離」の最初の段階です。
ただ、それを徹底してやってみたら、「もうこれじゃない」という感じが湧いてきて、そうなったときに新しい自分のオリジナルのやり方が自然に生まれてきた感じがします。
[個々にあったアプローチへの変化]
他のどの流派にもないアプローチ。だから、それは私にとってアプローチの大きな変化。
人はそれぞれの個性があって、その人に合ったアプローチをすべきだ、という自分の中の大きな軸。
だから、学んだものをそのままやったり、決まったパターンをクライエントに当てはめるというやり方ではなく、その場で浮かんだものを使うというアプローチにどんどん変化していきました。
ただ、湧いてきた、降ってきたイメージを使ってワークをすると、突飛もないものが次々浮かんできて、学会発表できるようなものではない感じもしました。でも、そういうのをやっているときのほうが、参加者の表情、協力体制…皆さんが楽しそうで、ワークで変わった人に対して「よかったね」という感動が起きるし、その場にいる参加者全員が深い影響を受け、学びを得る。それが当たり前に起きるということに、“これだ”という感じがしたし、続けていく中で、感動の度合い、腑に落ちる度合いが変わっていきました。
だから、長く参加している方には必ず一つか二つ、何年経っても「あのとき受けた個人ワークは…」というような経験がおありです。一生ものの影響、よかった、楽しかった、という感じがある。「あれがあったおかげで、今、安定している私がある」というワークは、こういう“湧いてくるイメージ”からしか生み出せません。
自分のオリジナルのやり方は自然に生まれてきた、と申しましたが、E.マーカス先生のワークショップに出るうちに、刺激されていた部分はあるかもしれません。

E.マーカス博士と私
マーカス先生は日本人とのワークショップを重ねる中で、日本人に使えるなと思ったやり方をいつも使っているように見えました。怒りのある人へのワークは、その怒りを発散させるやり方をするけれども、それが終わるまでずーっと待っている。30~40分も待っていることもあったけれど、私はそれは効果的ではないなと思っていた。
だから今、私は時間がかかりすぎるときは、すぐにやり方を変えるわけです。うまくいっていないときは、すぐ違うやり方をする。そういうスタイルは、マーカス先生のワークを観察しているときの自分に湧いてきた”効果的じゃないな”という感じがあって、”じゃあ、自分ならどうするか?”という発想になったからこそ、作り上げてこられたものだと思います。
それから、マーカス先生はクライエントのテーマによって一定のパターンでワークを展開するスタイルで、怒りのある人にはこれ、アイデンティティの確立の課題がある人にはこれ、というふうに展開するから、次第に途中から”この先、先生がどうしていくか”が見えるようになった。で、先が読めてくると、”私ならこうする”というマーカス先生とは違うアイデアが湧いてくるようになった。だから、テクニカルフィードバックのときに「僕はあの時点でこういうようなことを考えた」とか「こういうやり方を自分ならする」というようなことを言って、先生のフィードバックを頂くようになりました。
[沸いてくるアイデアの活用]
マーカス先生のワークショップには10数年続けて参加していましたが、回を重ねるうちに先生のワークショップを自分がどう受講するか、受け方が変わっていったということだと思います。
”僕ならこうする”というのがどんどん自分の中に湧いてくるようになって、それを自分が開くワークショップで自分のワークの中でやってみたら、非常に効果的でした。
人は皆、違うんだから、定型の解決方法などない、という想いも強くなっていきました。
私はその人に合ったやり方は何か、どうしたらいいか、というのを本当に考えます。
その時に人はサインを見せてくれる。「私はこのやり方じゃいやだ」っていうのを見せてくれる。すごく敏感なものなのです。
ワークに時間がかかるというのは、”そのやり方じゃだめ”ということ。だから、もっと短い距離で、時間で行ける道を探す謎解きをしています。
かつては、カウンセリングは長くかかるというのが当たり前でした。サイコドラマをするにしても1時間くらいかかって、見ていると眠くなるほど。こんなに眠くなるようなことにみんなでエネルギーを使って、”何がどれほど得られるの?”という怒りもあった。
だったら、サイコドラマっていうのは自分の内的世界を表現するツールなわけだから、もっとフリーに、即興でいろんなことを短期にすることも可能でしょう、と。
そういう点で、私のオリジナルはTANKI(短期/短気)療法です。タンキこそいい。
こうやって私が50歳になるころには自己成長ワークショップのスタイルは作り上げられていきました。
でも「自己成長」という名前はやめました。それは、ビジネスの領域の方へのお手伝いが始まってからのことです。福祉とか司法とか心理とかの援助職ではなく、もっと一般の方たちへのサポートをしていくうちに、今度は彼らが知りたいこと、彼らが必要としていることを考えるようになりました。
ビジネスの人たちはDoing、つまり自分が何をしたらよいかということだけを追い求めているのが常でした。普通のコンサルタントたちはHaving、つまり成果や成功につながるようなことばっかりするから、ビジネスの人たちは「自分が知りたいのはDoingだ」と言い続けるのです。
でも、それが当たり前になっていた人たちの中には感覚の鋭い人、Doing-Havingスタイルに馴染まない人・限界を感じている人がいて、そういった方たちが私の話を聞くうちに「これだ!」と思われて、勉強に来られるようになりました。