Beingワークショップの30年②

12.06

前回からの続きです。

[深刻化するリーダーたちの悩み]

それで、経営者や幹部社員の人たちの中には、「自分の周りに人が寄ってこない」とか、非常に根源的な痛みや悲しみを持っている人がたくさんいることがわかってきました。特に、中小企業の経営者の悩みは深く、家族問題に深刻な方々もいて、夫婦の破綻、こどもの不登校や非行に苦しんでおられる方もいました。さらに、国を引っ張っている方々の家族の悩みに応じることも多くありました。

[神田昌典さんとの出会いでを通しての発展]

そして、そういうタイミングで神田昌典さんとの出会いがありました。

神田さんのグループでも、最初にセミナーを開いたときは「収益を上げるにはどうしたらいいか」というDoing、すなわちスキルの話題で始まりました。もっと私のノウハウを知りたいということで、2日間のセミナーをやったのですが、「まだまだ知りたいことがある」という声があがって、3回くらい続きました。

セミナーは、私が予定していた内容はなかなか進みません。なぜなら、質問がひっきりなして、実にクリエーティブな参加者ばかりで、後に活躍する人材にあふれていました。

そして、次第に、質問がDoingを離れて、人のありよう、生き方というBeingへと変化していました。私の中にだんだん湧いてくるものがありました。

ここにきている人たちは懸命にDoingを追い求めているけれども、実際上は自分の中にある満たされない思い…孤独とか、人とうまくかかわれないという、ものすごく深い辛さを抱えているなあ、と。

セミナー参加の方の中には、自己尊重が低く、何とか自己尊重を高めるために、成果を上げようと死にもの狂いで頑張っている人たちもいると感じました。

そこで、「Beingっていうのがあなたたちにはある」というメッセージを送ると、一人一人が「そうだそうだ」という反応をされていました。で、「おれは孤独だ」「自分は捨てられたんだ」「未来に対して夢が持てない」「自分に期待できない」と、そういう悲しい思いを誰もが持っているということに、ほぼ全員が気づかれました。

だからスキルトレーニングではなく、Beingに救いを求めている人たちが集まっているのだということがわかって、Beingのためのトレーニングに発想を私も切り替えました。そうやってトレーニングをしていくと、それを乗り越えて成功する人も次々現れた。

で、これはきっとビジネスの世界だけではなくて、どんな領域にいる人たちにも同じ悩みがあるだろうと思って、『自己成長ワークショップ』も『Beingワークショップ』に改めました。

[対人援助者からトップ・リーダー層へ]

私のトレーニングやワークショップは初めは対人援助職が対象だったのですが、こうしてだんだんもっと広い社会の、そして色んな組織のトップ、リーダーたちも入ってくるようになりました。

援助職と違うのは、そのトップの方たちが変化を遂げられると、その方の下にいるたくさんのメンバーが救われるということ。政策や経営方針が変わるから、組織の中だけでなく、社会全体にも影響していく。だから、そういった新しく手伝うようになった方たちの変化を見て、私の中で”グループの重要性”がさらに増していきました。

参加者の方がご自身の家族だけでなく、職場の人を誘われることも多いです。最近では、経営者の方が社員に研修の機会を与えるという形で参加される方も増えています。

グループの重要性という意味では、対人援助職の心理や福祉や教育の人たちと、ビジネスの人たちが同じ場で学ばれることで、視点の幅を広げられるという効果も感じています。

私のワークショップでの個人ワークの後は、二つのフィードバックの時間を持ちます。一つはパーソナルフィードバックといって、ワークの当事者でも協力者でもオブザーバーでも、たった今の経験で何か言いたいことが湧いてきて、それをグループに伝えたい人は伝えるという時間です。もう一つはテクニカルフィードバック、つまりトレーナーである私に、技術的な面での質問をしたり、感想を言う時間です。

なので、そういった参加者同士のコミュニケーション、つまりフィードバックがものすごく勉強になるのです。

ビジネスの分野で活躍している人が、対人援助のプロの世界では“変だ”と思われるような質問すると、福祉領域の参加者からは「なんでそんな質問するの?」と批判というか、驚かれるような反応をされる。

福祉領域の人たちが「満たされない仕事だ」と吐露すると、ビジネス分野の参加者は「いつまでそんなことやるんですか?」「生産性がない思考だ」という感じを持って反応する人もいるわけです。

そういう中で、一旦ごっちゃまぜになった広い世界に身を置くことで、みなさんは何かをつかみとって、「また来年会いましょう」となるんです。

[なぜ、リピートするの?  そのことの意味]

30年にわたって毎年ワークショップを開催していると、リピーターがいらっしゃるというのも、とても面白い。

例えばご夫婦で参加されている方がいる。初めは奥様が来られていたのだけど、ワークショップでご主人に対して今まで気づいていなかったことが明確化されたりする。つまり妻は成長した。そうすると夫は今まで通りやっていこうとするのに、これまでの夫婦間のコミュニケーションや関係性のパターンが続けられなくなるから、夫婦関係が悪くなったりする。

ご主人は「一体これはなんだろうか」ってことで困って、今度はご主人もワークショップにやってくる。それでもって二人が同時にそれぞれの成長をとげて、お互い理解しあうということが始まる。

夫婦のこと、家族のことは、誰かが成長してパターンが変わると関係が良くなったり、悪くなったりと常に動いていくわけで、悪くなったときの関係改善のために、こんなふうにして続けてワークショップに参加される方もいらっしゃいます。

リピーターの方も多いですが、新規参加の方も一定数いらっしゃいます。

リピーターの方にも新規の方にも共通するのは”本当に一生懸命な人たちだということ。誠実でまじめ。すでにそれぞれの世界で一定の成果を上げていながらも、チャレンジをされていることに、私はいつも敬意を払っています。

だから、もっと何かを得たいというその熱心さに対して、私は皆さんが「あ、そうか」と心から思える新たな気づきを得てお帰り頂くということを一番に考えてワークショップをやっています。

なぜならば、自己成長レベルの人は気づきがあって、行動するから。すぐに行動するから、ワークショップに来る。ワークショップに参加する方というのは、そういう気づきと行動がすでにできている方なので、「あ、そうか」という気づきを糧にした自己成長レベルの変化を必要とされているのです。

私が若い頃のことです。禅で有名な総持寺に「禅の勉強をしたい」とご相談したことがありました。先方からは「すぐいらっしゃい」とのお返事。さて、そのとき、あなたならどうするか?

そこで「すぐ行く人」だったら禅を学べます。

「本を読んでから…」「まとまった時間ができたら…」「お金がたまってから…」とか理由をつけて、すぐに行かない人は学べません。

これが自己成長モデルの人とそうでない人との違いです。変わりたいと思う人は変わる取り組みをする。現状維持モデルの人は批判や問題提起はするけど、行動しない。だからBeingワークショップではお会いすることはありません。

例えば、ワークショップでも何でも、お金がなくて困っていても、変わりたいと思う人はそのための行動をします。受講費が高くて困っていたら、「分割払いにしてもらえませんか?」と言ってみる。これは実際に私がした行動です。そして、主催者の方が事情を理解して下さり、分割払いを許してもらえた。

確かに、瞬間的には”恥ずかしい”とか思ったりもします。でも、ワークショップに参加したいという意思がある人、すなわち自己成長モデルであれば、あの手この手の交渉のためのアイデアが浮かんで来ます。そして学ぶ者と学ばせる者の間にある真剣な対峙を知る主催者なら、こういったアイデアが通じるものです。

[私の大学時代に感じていた違和感]

自己成長モデルの方の発想や行動についてお伝えしていたら、「その場で浮かんだものを使うというアプローチ」の話にちょっと戻りたくなりました。

私が大学の学部生だった当時、臨床心理学の中心的な考え方はとても”精神分析的”で、違和感がありました。

とある有名な研究所のケース検討会に出ると、そこにはいないクライエントのことを、書かれたものによって解釈して、ディスカッションしている。私はそんなことして何になるの?となる。なぜなら、その人たちのことを我々は何もわからない。書かれた文章だけで「この人の問題は…」と言うことに傲慢さを感じました。

不登校のケースなのに、母親の話だけを聞いて、父親とは面接すらしていない。一方的な偏った情報だけでこんな解釈をしているケース検討会に、行くたびに私はうんざりしてストレスを感じていました。

ただ、検討会のあとに講師の先生の話を聞くのはすごく面白くて、そちらのほうがセミナーよりもはるかに勉強になりました。その先生たちの「地」の部分。本当の人格、人柄に触れるようなことが、私には本当に勉強になりました。学びを授ける側の熱意や葛藤を直に触れた経験は、今の私の中にも表れていると思います。

ただ、やっぱり分析的なことには私はすごく批判的です。”人間をそんなふうに簡単に分析するな、何様だ”と思いがある。

だから個人ワークの時にクライエントが見せる違和感に対して、とても敏感に反応します。クライエントの中に”あなた(堀之内)は私(クライエント自身)を大事に扱ってない”というのを感じると、すぐアプローチを変える。そして、解釈的なことは一切言わない。

そういう原点があって、”湧いてきたものを使う”というアプローチが培われたと思います。

……(続きます)

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