前回からの続きです。
[最近のBeingワークショップの特徴]
私のBeingワークショップは、初めての開催から30年が経ちます。
湧いてくるものを使う、というアプローチの面白いところはいろいろありますが、個人ワークをやった後、私自身は何をやったかという内容を全然覚えていないのもその1つです。
心の深層を扱うというのは、そういうことかなと思ったりします。
そして、そういう深い層から生まれてくる個人ワークというのは、かなりユニークです。
最近は「覚悟」のワークが増えているような印象です。
例えば、伝統ある家業を受け継ぐといった立場にいらっしゃる方がいました。その方には、会場のホテルでバスタオルを何枚も持ち寄って並べて、家系図に見立てて、その上を自分が身体を使ってなぞる、というようなアイデアが浮かんできて、取り組んで頂きました。ご先祖とつながることで、その方のビジネスへの覚悟が統合されるということです。
多分、こういう「覚悟」のワークというのは、ビジネスの世界の方の参加が増えてきたこととも関係しているのでしょう。
参加される方の職種が多様になったことで、私のアプローチというかアイデアも広がってきています。
ただ、一貫しているのは無意識と意識の間に水路を作ることで、その方がご自身の中にある潜在能力とつながっていけるようになるためのお手伝いです。「水路作り療法」です。
これについて詳しくは、新しいDVDでは「心の4層理論」としてご説明しています。
個人ワークをしているときに、私の中に湧いてくるものがクライエントにフィットしているか。
前回お示しした通り、精神分析的な世界、解釈の世界への違和感が原点となり、クライエントに対して私自身がペースをしっかり合わせ、自分が相手にフィットするように努めるということに敏感です。
ただ、相手に合わせて、相手の潜在意識にペースを合わせ、そうしている中で私に湧いてくるものをうまく使うには、私自身が自分の無意識にしっかり水路を持っている必要があるわけです。
[なぜ、私はそうできるのだろうか?]
私自身が自分の無意識との水路をどう作ったか…。
それは、簡単です。子どもの頃にいっぱい遊んだという経験です。自分の中に湧いてくるいろんなことを、自由に感じ取る場にあったかどうか。それが水路のベースです。
あまり大きな声で言えないけれど、例えば、人の畑に行ってナスとかトマトとかを食べたい!となったときに、子どもだからえいっと食べちゃう。そんな経験です。
子どもというのは発想が豊かでしょう。積み木1個でも、縦にして塔だ、横にして何ちゃらかんちゃらだっていう、ああいう状態が”水路が通っている”という感じです。
そういう「ありのままにやる」というような時間が五感を鍛える。個人ワークをやるときは、そういう「ありのまま」、つまりフリーな状態でいないと、相手との間に湧いてくるものをキャッチできないのです。
フリーな状態では一般社会の常識とかルールを外れて、心の最も原始的な、根源的な部分から湧いてくるものがあります。
だから、1人で追究してしまうと危険な面もあって、現実生活が脅かされてしまう。でも、ワークショップという非現実的な場に身を置いて、そしてトレーナー、私のことですが、導く存在がいるという状態ならば、破壊的なことにはならず、安心してご自身の水路を探っていけるわけです。
そして、こういうふうにクライエントが安全・安心にクリエイティブな取り組みができるようにサポートするのがトレーナーの責務です。
フリーな状態にしっぱなしでワークショップから帰してはいけません。
私が子ども時代に培った自由な発想。それとつながって、それを使ってワークをするという私の姿勢、水路が、ワークを受ける方の水路活性化しているんじゃないかと思います。
理論も実技も学びに学び、それを実践する。それでも、時には全然役に立たず、クライエントにも自分にもフィットしない、なんてこともあります。
それで、他の理論をまた勉強するんだけど、それでも上手くいかない事例に出会う。悩みに悩んで、どうしたらいいかと行き詰まった時に、ふっと思い浮かんだことを使ってみたところ、非常に効果的だった、ということが起きた。そこでその方法をまた使ってみる。するとやっぱり上手くいく。その繰り返しで、ずーっとやっているところです。
横浜でBeingワークショップをやり始めた頃は毎回体中が固くなって、緊張して、内科の病院に行って湿布を貼ってもらったりしながら…なんていうこともありました。
そのときは考えるワークショップだったから、私自身が自分の水路を活かせていなかったということです。学んだものを活かそうとする意識ですから、考えるワークショップでした。
今は思いつくワークショップ。浮かんでくるワークショップ。だから考えていません。
考えないで話を聴いているうちに、ふーっと必要なことが浮かんでくる。
“簡単な取り組みを今からやってみましょう。”
そういうことで、効果的なワークというのは進んでいくのです。
こうしてふりかえってみると、私に言わせれば、考えるっていうのは非常に表層的な世界です。
湧いてくる、思いつくというのはとても感覚的で、直感も働かせています。
こういうアプローチのためには、相手の方の中に湧いてくる、変化のための感覚的なメッセージを読み解く力を、鍛練していくといいと思います。
確かに学生時代、ユングの本なんかは随分読みましたし、原型とかの話は覚えているけれど、それを頭で考えて使っているわけではないのです。
ワークで湧いてくる、思いつくイメージが、ユングの原型のストーリー、例えばトリックスターの物語の中にもあったりする。
今、私はネイティブアメリカンの本を読んでいて、その中にも結構ユングの原型に重なるものがあって、とても面白い。
そういった人類共通の何か…それに気づいたユングにはあらためて敬意を払いたいところですが、とにかく人類が共有しているレベルの深い無意識から湧き上がってくるイメージというのが、個人ワークでは扱われるし、それがDoingやHavingではなく、Beingが豊かになるための糧なのですね。
イメージをどう扱うかが、力なんだと思います。
[発達凸凹があることは大事]
そういう力というのは潜在的には誰にでもあって、鍛練されて使えるようになるものだと私は思っています。
あと、ちょっぴり発達凸凹があるというのもいいと思っています。自分はこうだと思ったならば、そのことに突き進むような頑固さは大事にしてほしい。
もちろん失うものも多いのだけれど、Beingを扱う、深い層の世界に通じるというのにはとても活かされる。偏り、頑固さというのはワガママでもあるけれど、ある程度の知的能力を伴えば、信念になる。そういう信念が、新しい世界を広げていったり、何かを作り上げる要素なんです。まだそれが何なのかわからなくても、“こうだ”と確信できるというのは、自分の力を信じることにもつながっているのです。
誰かから評価されなくても、自分はこれをやっていくんだという力。友だちが自分と違う考えであっても、「だけど俺はこう思うんだ」と表現できる力。こういうのがこれからの時代、いっそう大事になると思います。
そういう偏り、頑固さ、その人なりの信念をもって生きていることに対して、私は敬意を払っています。だって、そういうものを持っていると生きづらいですから。私は身をもって知っています。
“それだけど、何かを求めて生きてるんでしょう?”
“ならば、その頑固さをどう上手に使うか。それをお知りになりたいんですね?”
“ならその活かし方を考えていきましょう。”
これが私のBeingです。
[特に、福祉領域について]
30年ほどやっていますから、例えば福祉領域の方なんかはリーダー格のかたも多くなってきました。
最初は介護の現場にいた人が相談員になり、そして人に教える仕事に就き、大学に行ったり大学院に行ったりして…大学の先生をしている人もいる。そうやってキャリアアップの場として気づきを得て、何をすべきか道を見つけ、大きな人生の決断をする。そういう自己成長の人たちの集まりであることには変わりありません。
そういった自己成長モデルの人たち、選ぶ力のある人たちが集まったのがBeingワークショップのグループの特徴です。
ワークショップのお誘いに「あ、これだ!」とピンとくるセンス、能力をお持ちの人たちです。だから、そういう人たちが集まると、個人ワークを受ける人に対して、他人事として見ないのです。冷めた目で見るということがない。自分のことのようにその人の取り組みを分かち合える力があるし、その力をはぐくむ場でもあるわけです。
昔、若い方が個人ワークの後のパーソナルフィードバックで「そんなのは誰もが持っている悩みだと思います!」と批判的な様子で言ったことがありました。未成熟な人たちのグループだと、そういう発言に対してネガティブなに反応しがちです。でも、自己成長モデルのグループだと、そういうこと発言も歓迎されるわけです。
「よく自分の考えを言ったね。」
そういうふうにして受け入れていく力が全員にある。で、そうやって批判めいた発言をした人は翌年どうするかというと、再受講なさるんです。成熟した人のグループの中で何かを学んだ、という感じがあったから、再び学びにいらっしゃるということですね。
我が事のように感じることによって、それをさらに深めて学んでいこうっていう取り組みだから、個人面接では決してできない学びです。
私との間の個人面接というのは、私の限りある中でしか学べませんが、グループというのはいろんな人たちがいるし、参加者の成熟の度合いによって、お互いの体験を受けとって、学ぶ量と質がプラスされていきます。だから、繰り返しになりますが、トレーナーである私からの学びだけでなく、参加者同士の間でたくさん学んでいかれるというのが、私のやっている取り組みなのです。
[Beingワークショップのこれから]
年々、参加者が増えているので、開催回数も増やしています。
1つのグループが大きくなりすぎると、どうしても参加者同士のつながりが薄くなりますし、私ももっとお一人ずつを丁寧に見たくなるからです。
同じ場所で5回開いてもいいところですが、私は全部変えています。北は岩手、南は宮崎。みんなでバーベキューをやるのが恒例の会場もあるし、全員集合の宴会をする会場もしない会場もある。日程的に行けるかどうかで選ぶ方もいるし、そういう会場ごとの雰囲気で選ぶ方もいる。そこにもまた選ぶ力、直感みたいなものが働くのですね。
だからでしょうか。他人の個人ワークも我が事として学ぶBeingワークショップということで、同じ会場に集まる方々が似たようなテーマをお持ちになっているという現象がよく起こります。ご縁というか、呼び合うのでしょう。
なので、色んな会場で、色んな催しを企画するのにも、私はたくさんエネルギーを注いで準備していますし、そのことに、とても満足しています。
人は1人では生きているのではなく、人とのかかわりの中で多くを学びながら存在しています。1人でしか学べないことも勿論ありますが、多くの人数でないと学べないこともあります。
例えば個人ワークでハグされるという体験があったとして、一人だけからのハグと、何人もからハグされるというのでは、受けとめ方が違うでしょう。多くの人と学ぶことには、こういう特別な体験のチャンスがあります。
自分と同じようにBeingを求めて学ぶ他の誰かの一言、誰かの態度。ワークショップを共に過ごすからこそ、そこに深い気づき、学びが生まれるのですね。
だから、私は個人ワークの時間、フィードバックの時間、そしてそれ以外の時間…すべてひっくるめてBeingの場を作り上げているのです。
私の取り組みが伝わりましたでしょうか?
ピンと来たみなさん、また来夏にお会いしましょう。