過去の投稿(2018年)

HPリニューアルしました(6月1日)

いつも(有)メンタリング研究所のホームページをご覧頂き、ありがとうございます。

この度、当社ホームページをリニューアルいたしました。動画配信サービス等、ますますのコンテンツの充実を図って参ります。引き続きご高覧頂き、皆様の臨床・事業にお役立て下さい。

新ホームページURL[http://mentoringlabo.jp]

(有)メンタリング研究所 事務局

みなさん、こんにちは。堀之内です。(10月25日)

これまでWEBでのメッセージの配信に多くのご要望をお寄せいただいていました。
お待ちいただいていた皆さん、ようこそ。
(有)メンタリング研究所のホームページがリニューアルされ、色々な機能がバージョンアップしました。
ブログでも私のメッセージをお送りしたいと思います。
動画配信(現在準備中)と併せて、ご覧ください。
私は現在65歳です。なぜ、今、デジタルでみなさんに発信しようと思ったのか…。
私は心理療法家として、約40年にわたって活動してきました。
これまで2,000事例の心の傷みのお手当てと、悩みの解消をお手伝いしてきました。
また数々のワークショップを開催し、援助専門家や組織のリーダーのスキルアップや、自己成長のお手伝いもしてきました。
そして、その経験から様々なトレーニング手法を開発し、それをまたお伝えしてきたわけです。
ただ、面接であれ、ワークショップであれ、丁寧なサポートには時間的な制約、物理的な限界があります。
私の臨床経験を皆さんにもどうにかしてお役立ていただけないか…
そのような想いで、今年はDVD 「経営者が本当にしあわせになるメンタリング」シリーズ 全5巻 を発売しました。
私のトレーニングを受けられた経営コンサルタントの神田昌典さんが、この新しいDVDシリーズの推薦の辞を下さいました。
リニューアルされたHPでは動画配信も予定しています。
心理的援助を主として活動されている専門家の方には、「メンタリング」の手法を学んでいただくチャンスとなるでしょう。
経営者や組織のリーダーの方々には、「自己成長モデル」のBeing開発のノウハウを習得していただけるようなヒントを提供したいと思っています。
これまで何度も申し上げてきましたが、「わかる」ことと、「できる」ことには、大きな隔たりがあります。
多くの時間とお金をかけて様々なセミナーに参加して、「よし、これだけの知識を身に付けたぞ」と、その場では満足できても、実際のお仕事で成功しないことが多いのです。
実際に「できる」ようになるためには、そうなるためのトレーニングを受けなくてはなりません。

 私のトレーニングでは、参加者がその場で面接(ロールプレイ)をなさり、ライブでスーパービジョンを行います。
ご存知のようにロールプレイは手順を学ぶものでありますから、本当の面接とは異なっています。「達人になりたくなければ、ロールプレイを続ければいい」とさえ私は思っています。
ロールプレイという方式には限界があるということです。

その限界を超えるために、トレーニングに工夫を加えています。
その工夫とは、ライブスーパービジョンと、全面接録画のフィードバックです。

ライブスーパービジョンとは、ロールプレイでの面接中に、オブザーバーとして陪席していたトレーナーが、途中で様々な提案や介入を行う方式のトレーニングです。トレーナーの提案を受け、ロールプレイ中に面接をやり直したり、面説を再開することができます。
「ああ、こういう展開のときには、こういう介入のほうがフィットするんだ…」という実感と納得を、その場で得ることができる革新的トレーニングです。

これは、私が大学の仕事をしつつ、30代に「目黒家族療法研究所」を開設し、ワンウェイミラー(マジックミラー)と内線電話を使った家族療法専用の面接室を自前で用意したときの経験がもとになっています。

ミニューチン(構造派)の家族療法では、セラピストが複数いて、ミラーのあちら(面接室内)とこちら(外)で連携してセラピーを行います。その方法を生かしました。

のちの大学院の授業でもこの方法を用いました。
面接室内のカウンセラーは大学院生です。私はミラーの反対側にいて、周りには受講している他の大学院生もいます。
私はそこから面接を観察し、途中で内線電話をかけ、その場で必要な言葉かけや、方向性を尋ねたりします。
共同セラピストとしてライブでスーパービジョンを行うことで、彼らがスキルアップしていくのを実感できました。
でも、それだけでは「できる」には届きません。
カウンセラーとなった大学院生は、録画された面接を振り返り、自分のスキルアップを図る学習を何度も繰り返します。
10回の面接で クライエントの主訴、悩みを解消することを目標にしていますから、 このような自己鍛練が大事なのです。

さて、力が本当につくのはトレーニング中でしょうか?

私は、参加している最中もさることながら、“そのあと”の方が大きいと思います。
たくさんの方をトレーニングしてきましたが、上手になる方は自己学習に努めていらっしゃいます。
思い返すと、若いころの私もそうでした。
国谷誠朗(くにや のぶあき)先生、エリック・マーカス先生のトレーニングを受けるときは録音・録画し、何度も見直しました。今でも、見直すことがあります。
自分の面接も録画し、何度も見直していくと、「ああ、ここでこういうアプローチもできたはずだ」というように、その場では発想できなかった面接のアイデアを考える力がついていきます。そして、その力が面接の最中でも発揮できるようになっていくのです。

この作業を1人で行うことには、なかなか辛抱が必要です。
どういったポイントに着目して録音・録画をふりかえっていけばよいのかを構築するのに、手助けがあったら、もっと楽に、クリエイティブに取り組めると思いました。
そのような点で、DVDや動画配信に私がチャレンジするのは、大きな意義があると考えたのです。

何もない山道を迷いながら不安のまま進むよりも、地図や道しるべを参考にしながら、落ち着いて、しっかりと自分の選んだ道を進んでいく方が、豊かな経験値になると思いませんか?
そんなふうに私の提供する映像を学習のガイドにしていただきたいと思っています。
さて、このブログでは何をお伝えしたいか?

今は色々な可能性を考えているところです。
日々、多くの方々からご自身のプライベートなことから、組織の経営に関することまで、幅広くお悩みを伺っていると、性別も世代も、業種も地域も違っているのに、共通したテーマやキーワードが浮かび上がってくるという現象がよくあります。

そのような現象が起きているときのテーマは、おそらく縁あってこのブログをふらっと訪れる方にも、きっと身近に感じられるものだと思います。

なので、ブログではそういったテーマを心の謎解きの材料として、「いきいき生きる」ヒントを心理療法家としてお伝えしていくことができるかなと思っています。

悩みはだれにも訪れ、尽き果てることはありません。
お読みいただく方が「悩みを上手にいなしつつ、ぼちぼち…ぼちぼちと生きる」ためのガイドとして、役立てていただければと願っています。

堀之内高久

<目的>
「わかる」という知識と実際に「できる」ということには、大きなへだたりがあります。
このブログは、Doingの悩みを「わかること」から、実際に「できる」ようになることをお求めの方に、さらに自身のありようBeingの開発に役立てていただきたいと願っています。
知識は身についた、さらに、「自分」ができるようになることをお求めの自己成長モデルの方に役立つと思います。
<さらに>
 心理療法家として、40年以上にわたってさまざまな方のサポートをしてきました。
 政治家の方々や大手企業、外資系の企業のトップの方々の人生の転機に、思春期、青年期の学校適応、夫婦療法・・・Beingに悩む各世代の、こころの悩み解消にかかわってきましたが。その数は、延べ数千人になるのですが・・・
  ていねいなサポートのためには、時間的な制約があり、面接者数は限られます。
 そこで、プログを通して、今お困りの方にヒントをお届けできたらと思います。

<さて、素朴な疑問ー人は、自分の意識で生きているのか?>
■人は、「意識的に」自分をコントロールして生きてはいないという事実
 例えば、歩くことを例にしてみましょう。歩くことを、右足を40センチ上げ,上方45度に動かし・・・というように意識的にしているわけでなく、無意識的に動かし生きています。
 人は、意識的に生きているのではなく、大部分は無意識的に生きていて、それは大変便利なことなのですが、不都合なことが出てきます。
■「仕事上、あの人とはうまくやらなければいけないのにと思うのに、なんか嫌なのよ」と『無意識な』拒否感がおきている
■「好きになってはいけない」と思いつつも、好きになってしまう・・・やめられない
■わかっちゃいるけどやめられない
■自分は一所懸命にやっているのにうまくいかない
 日々の心の謎解きをしながら、生きるヒントを心理臨床家として、お伝えしたいと思います。うまく生きるために、無意識に気づき、上手に付き合い、自分の変化の資源にしていただければと思います。

Beingワークショップについての私が考えていること(11月12日)

みなさん、こんにちは。堀之内です。
今夏もBeingワークショップを5か所の会場で開催しました。多くの成熟したメンバーが参加され、今年もまた、グループでしかなし得ない学びの時間となりました。
箱根、雫石、宮崎、淡路、広島…
それぞれの会場で、リピーターの方、お久しぶりの方、はじめましての方がお出でですが、何かそのグループごとにご縁があるのか、共鳴が起きるのか、共通したテーマで個人ワークが展開される傾向が、ここ数年、より顕著になっているように感じます。
きっと、どの会場に参加なさるか、お考えになっている段階から、何かご自身の中のBeingと向き合うことが始まっていらっしゃるのかもしれません。
なぜグループでの学びなのか…
個人セッションで個別にワークを受けるのではいけないのか…
そんなご質問を受けることもあります。
答えは簡単です。自己成長レベルの方には、自己成長レベルの学びが必要です。それを可能にするのが、グループなのです。
自己成長レベルの方というのは、まず選ぶ力がおありです。
Beingワークショップというお知らせがあったときに、「あ、これは!」とピンと来ること。自分にこのような学びが必要なのだ、と自分で選ぶことができる方です。
そのような方たちが集まるグループでは、お互いの個人ワークを他人事として見ません。他の方の個人ワークの時間を他人事でなく、我が事として過ごす。自分のことのようにその人の取り組みを分かち合うということが起き、ワークを受けている方にもそれが影響します。ここが個人セッションでのワークとの一番の違いです。
私との個人セッションでは、私の限りのある中でしか学べない。でも、グループでは、各々の成熟の度合いによって、参加者同士の間で受け取り、与える度合いと量がプラスされていく。
これこそが私が取り組んでいるBeingの学びです。
Doing、Havingの学びは知識を得たり、コーチを受けるといった個人の努力で達成されます。
ただ、その先の世界にステップアップされたい方には、その学び方では満たされません。
成熟された方のBeingというのは、家族・友人・同僚といった人間関係を越え、同じように成熟している方たちとのグループでの学びで、大きく成長されていくのを、この30年の経験の中で、私は見てきました。
いくら言葉を尽くしても、お出でになった方にしかわからないところも多いのですが、私にとってのBeingワークショップについて今日は少しお伝えしてみました。
ピンと来た方は、ぜひ来年、ご参加ください。
また思い立ったことを綴っていきたい思います。
ではまた次の機会に。

堀之内 高久

事務局より追伸
2019年のBeingワークショップの開催案内は2月末にHPでお知らせする予定です。

Beingワークショップの30年①(12月4日)

こんにちは。堀之内です。
前回のブログ記事で今年のBeingワークショップについて想うことを書いているうちに、この30年の私のワークショップの歩みを思い出しました。
古参の方は一緒に歩まれてきましたからご承知かもしれませんが、特に大学の仕事から離れて以降、ビジネスの世界で組織のリーダー・幹部社員として活躍されている方々が私のトレーニングに強く関心を持たれるようになり、新しい顔ぶれが増えてきました。
そのような方々には、どうして私が今、こういうことをやっているのか、中々お伝えする機会がありませんので、ちょっとブログでご紹介したくなりました。

[Being ワークショップの始まり
  スキルトレーニングからBeingワークショップへ]

私がまだ30代半ばのころ、初めてのワークショップを神奈川で開催しました。当時の名称は「自己成長ワークショップ」です。懐かしく感じられる方もお出ででしょうね。
その当時、私は「目黒こころのケア研究所」という家族療法の相談室を開業したところでした。ワンウェイミラーと録画機材を備えた、当時としては最先端の施設で、時に大学院生たちを共同セラピストとして迎え、臨床を行っていました。
その実践をお知りになった方とのご縁があり、介護現場の援助職スタッフや家庭裁判所の調査官の方々に呼んで頂き、研修講師もお受けしていました。私も老人ホームで心理職をしていたので、彼らが必要としているのは知識ではなく、スキルトレーニングだということは十分知っていた。なので、研修内容はスキル、つまり問題を解決するための聴き方の手順をお教えしました。
これが今思うとスキルトレーニングの原点でもあります。

ただ、彼らは中々優秀で、そのようなスキルトレーニングでは足りないような問題意識をお持ちの方が多くいらっしゃった。
手順だけで解決しえない、人間の深い問題を扱わざるを得ないような、そういうケースが介護や裁判・審判・調停にかかわる方たちには多かったのかもしれません。
手順を学ぶんじゃなくて、自分自身を向上させる必要がある。その問題意識に応えていこうと思いました。

ちょうどその頃、私はエリック・マーカス先生や国谷誠朗先生といった最先端のトレーナーの元で学んでいました。ゲシュタルト療法やサイコドラマ、NLPなど色々な手法を学び、個人ワークという誘導イメージを使ったアプローチで、自分自身の内的問題(Unfinished Business)を解消することも習得し始めていました。

故国谷誠朗博士と箱根のホテルにて

個人ワークで自分自身の問題を解消するというのは、セラピストのリードを受けながら自分の中にある解決手法を見出していくということでもあるから、対人援助の仕事に携わる人間が個人ワークを受けることは、クライエントの問題解決に直結します。
ただ、こうやって自分が学んだものは、ただ臨床で使うだけでなく、自分で教えてこそ身になるだろう、とも思いました。
そこで、私がそのプログラムを提供し、参加者の方に体験してもらうという課題学習型のワークショップを開催し、福祉や司法の方をお誘いしたのが、「自己成長ワークショップ」でした。

今思うと、30代半ばでこんなことを始めるなんて、大冒険。生意気、とも言えるかもしれない。
でも、そんな早い時期から始めていたからこそ、今のオリジナルなワークショップに至るような経験・知恵・センスを磨き、蓄積してこられました。

[プログラム内容の変化]

初期のプログラムは、学んだ手法を取り入れて行っていました。与えられた課題をグループで解いていくことで個々の気づきが促されるという性質のもので、フィンガーペインティングとか、そういったことを一緒にやったりもしました。つまり、“○○派のやり方を教える”というやり方をしていました。
けれど、次第に私自身が面白くなくなってきた。例えば、ゲシュタルト療法のように感情を取り扱うアプローチをしていると、毎年同じようなテーマを出す人たちがいる。“親への怒りがあります”という人がいると、親に対する怒りのワークをする。ゲシュタルト療法では、テーマに対してある程度定型のパターンで取り組むので、それを提供する。で、解消されたかと思っていると、翌年も同じ参加者が同じテーマを出してくる。“この人のテーマ、去年もやったよ”という想いになる。さらに3年目にまた同じようなテーマをもってその方が参加されるとなると、“過去2年のワークショップは何だったんだ”と私自身がなる。うんざりしてくる。否定的な感覚の状態でした。“もしかしたら、このワークショップそのものが、ゲーム(交流分析の用語。こじれた人間関係やパターン化された対人トラブルを引き起こす自滅的なコミュニケーションのこと)のように使われている”と感じ始めた。習ったことをそのままやることの限界や、つまらなさ、ばかばかしさを覚えるようになった。

それじゃあ面白くない。毎年繰り返されることにうんざりしていて、そういう自分に気づいていて、”違うやりかたをしたい“と思い始めた。そしてアプローチを工夫していったら、アイデアが湧いてくるようになった。その一つに『変身のワーク』というのがあって、自分がやったオリジナルのワークで、自分のアプローチが変わり始めたきっかけとなったから、今でもよく覚えています。
“既存のやり方を学び、その通りにやる”というのから、全然違ってきて、個人ワークが自分にとっても、参加者にとっても面白くなっていった。トレーナーの私も楽しいし、ワークを受けている人も楽しいし、それをオブザーバーとして見ていたり、時には協力者の役割でワークに加わったりする参加者にとっても楽しい。そして、そういう風に楽しく、おもしろいものは、”変化”に影響する、とても役に立つ、ということを私はしみじみ感じました。
そして、参加者がちゃんと変化する、成長するというワークショップはとてもクリエイティブで、全くうんざりしませんでした。

もちろん、若いときは学会発表でも何でも「○○療法の△△を使って…」ということがいっぱいあって、そういう時期は必要と考えています。
学んだものをそのままやってみる、模倣するという時間です。「守破離」の最初の段階です。
ただ、それを徹底してやってみたら、「もうこれじゃない」という感じが湧いてきて、そうなったときに新しい自分のオリジナルのやり方が自然に生まれてきた感じがします。

[個々にあったアプローチへの変化]
他のどの流派にもないアプローチ。だから、それは私にとってアプローチの大きな変化。
人はそれぞれの個性があって、その人に合ったアプローチをすべきだ、という自分の中の大きな軸。
だから、学んだものをそのままやったり、決まったパターンをクライエントに当てはめるというやり方ではなく、その場で浮かんだものを使うというアプローチにどんどん変化していきました。
ただ、湧いてきた、降ってきたイメージを使ってワークをすると、突飛もないものが次々浮かんできて、学会発表できるようなものではない感じもしました。でも、そういうのをやっているときのほうが、参加者の表情、協力体制…皆さんが楽しそうで、ワークで変わった人に対して「よかったね」という感動が起きるし、その場にいる参加者全員が深い影響を受け、学びを得る。それが当たり前に起きるということに、“これだ”という感じがしたし、続けていく中で、感動の度合い、腑に落ちる度合いが変わっていきました。
だから、長く参加している方には必ず一つか二つ、何年経っても「あのとき受けた個人ワークは…」というような経験がおありです。一生ものの影響、よかった、楽しかった、という感じがある。「あれがあったおかげで、今、安定している私がある」というワークは、こういう“湧いてくるイメージ”からしか生み出せません。

自分のオリジナルのやり方は自然に生まれてきた、と申しましたが、E.マーカス先生のワークショップに出るうちに、刺激されていた部分はあるかもしれません。

E.マーカス博士と私

マーカス先生は日本人とのワークショップを重ねる中で、日本人に使えるなと思ったやり方をいつも使っているように見えました。怒りのある人へのワークは、その怒りを発散させるやり方をするけれども、それが終わるまでずーっと待っている。30~40分も待っていることもあったけれど、私はそれは効果的ではないなと思っていた。

だから今、私は時間がかかりすぎるときは、すぐにやり方を変えるわけです。うまくいっていないときは、すぐ違うやり方をする。そういうスタイルは、マーカス先生のワークを観察しているときの自分に湧いてきた”効果的じゃないな”という感じがあって、”じゃあ、自分ならどうするか?”という発想になったからこそ、作り上げてこられたものだと思います。

それから、マーカス先生はクライエントのテーマによって一定のパターンでワークを展開するスタイルで、怒りのある人にはこれ、アイデンティティの確立の課題がある人にはこれ、というふうに展開するから、次第に途中から”この先、先生がどうしていくか”が見えるようになった。で、先が読めてくると、”私ならこうする”というマーカス先生とは違うアイデアが湧いてくるようになった。だから、テクニカルフィードバックのときに「僕はあの時点でこういうようなことを考えた」とか「こういうやり方を自分ならする」というようなことを言って、先生のフィードバックを頂くようになりました。

[沸いてくるアイデアの活用]

マーカス先生のワークショップには10数年続けて参加していましたが、回を重ねるうちに先生のワークショップを自分がどう受講するか、受け方が変わっていったということだと思います。

”僕ならこうする”というのがどんどん自分の中に湧いてくるようになって、それを自分が開くワークショップで自分のワークの中でやってみたら、非常に効果的でした。

人は皆、違うんだから、定型の解決方法などない、という想いも強くなっていきました。

私はその人に合ったやり方は何か、どうしたらいいか、というのを本当に考えます。

その時に人はサインを見せてくれる。「私はこのやり方じゃいやだ」っていうのを見せてくれる。すごく敏感なものなのです。

ワークに時間がかかるというのは、”そのやり方じゃだめ”ということ。だから、もっと短い距離で、時間で行ける道を探す謎解きをしています。

かつては、カウンセリングは長くかかるというのが当たり前でした。サイコドラマをするにしても1時間くらいかかって、見ていると眠くなるほど。こんなに眠くなるようなことにみんなでエネルギーを使って、”何がどれほど得られるの?”という怒りもあった。

だったら、サイコドラマっていうのは自分の内的世界を表現するツールなわけだから、もっとフリーに、即興でいろんなことを短期にすることも可能でしょう、と。

そういう点で、私のオリジナルはTANKI(短期/短気)療法です。タンキこそいい。

こうやって私が50歳になるころには自己成長ワークショップのスタイルは作り上げられていきました。

でも「自己成長」という名前はやめました。それは、ビジネスの領域の方へのお手伝いが始まってからのことです。福祉とか司法とか心理とかの援助職ではなく、もっと一般の方たちへのサポートをしていくうちに、今度は彼らが知りたいこと、彼らが必要としていることを考えるようになりました。

ビジネスの人たちはDoing、つまり自分が何をしたらよいかということだけを追い求めているのが常でした。普通のコンサルタントたちはHaving、つまり成果や成功につながるようなことばっかりするから、ビジネスの人たちは「自分が知りたいのはDoingだ」と言い続けるのです。

でも、それが当たり前になっていた人たちの中には感覚の鋭い人、Doing-Havingスタイルに馴染まない人・限界を感じている人がいて、そういった方たちが私の話を聞くうちに「これだ!」と思われて、勉強に来られるようになりました。

Beingワークショップの30年②(12月6日)

前回からの続きです。

[深刻化するリーダーたちの悩み]

それで、経営者や幹部社員の人たちの中には、「自分の周りに人が寄ってこない」とか、非常に根源的な痛みや悲しみを持っている人がたくさんいることがわかってきました。特に、中小企業の経営者の悩みは深く、家族問題に深刻な方々もいて、夫婦の破綻、こどもの不登校や非行に苦しんでおられる方もいました。さらに、国を引っ張っている方々の家族の悩みに応じることも多くありました。

[神田昌典さんとの出会いでを通しての発展]

そして、そういうタイミングで神田昌典さんとの出会いがありました。

神田さんのグループでも、最初にセミナーを開いたときは「収益を上げるにはどうしたらいいか」というDoing、すなわちスキルの話題で始まりました。もっと私のノウハウを知りたいということで、2日間のセミナーをやったのですが、「まだまだ知りたいことがある」という声があがって、3回くらい続きました。

セミナーは、私が予定していた内容はなかなか進みません。なぜなら、質問がひっきりなして、実にクリエーティブな参加者ばかりで、後に活躍する人材にあふれていました。

そして、次第に、質問がDoingを離れて、人のありよう、生き方というBeingへと変化していました。私の中にだんだん湧いてくるものがありました。

ここにきている人たちは懸命にDoingを追い求めているけれども、実際上は自分の中にある満たされない思い…孤独とか、人とうまくかかわれないという、ものすごく深い辛さを抱えているなあ、と。

セミナー参加の方の中には、自己尊重が低く、何とか自己尊重を高めるために、成果を上げようと死にもの狂いで頑張っている人たちもいると感じました。

そこで、「Beingっていうのがあなたたちにはある」というメッセージを送ると、一人一人が「そうだそうだ」という反応をされていました。で、「おれは孤独だ」「自分は捨てられたんだ」「未来に対して夢が持てない」「自分に期待できない」と、そういう悲しい思いを誰もが持っているということに、ほぼ全員が気づかれました。

だからスキルトレーニングではなく、Beingに救いを求めている人たちが集まっているのだということがわかって、Beingのためのトレーニングに発想を私も切り替えました。そうやってトレーニングをしていくと、それを乗り越えて成功する人も次々現れた。

で、これはきっとビジネスの世界だけではなくて、どんな領域にいる人たちにも同じ悩みがあるだろうと思って、『自己成長ワークショップ』も『Beingワークショップ』に改めました。

[対人援助者からトップ・リーダー層へ]

私のトレーニングやワークショップは初めは対人援助職が対象だったのですが、こうしてだんだんもっと広い社会の、そして色んな組織のトップ、リーダーたちも入ってくるようになりました。

援助職と違うのは、そのトップの方たちが変化を遂げられると、その方の下にいるたくさんのメンバーが救われるということ。政策や経営方針が変わるから、組織の中だけでなく、社会全体にも影響していく。だから、そういった新しく手伝うようになった方たちの変化を見て、私の中で”グループの重要性”がさらに増していきました。

参加者の方がご自身の家族だけでなく、職場の人を誘われることも多いです。最近では、経営者の方が社員に研修の機会を与えるという形で参加される方も増えています。

グループの重要性という意味では、対人援助職の心理や福祉や教育の人たちと、ビジネスの人たちが同じ場で学ばれることで、視点の幅を広げられるという効果も感じています。

私のワークショップでの個人ワークの後は、二つのフィードバックの時間を持ちます。一つはパーソナルフィードバックといって、ワークの当事者でも協力者でもオブザーバーでも、たった今の経験で何か言いたいことが湧いてきて、それをグループに伝えたい人は伝えるという時間です。もう一つはテクニカルフィードバック、つまりトレーナーである私に、技術的な面での質問をしたり、感想を言う時間です。

なので、そういった参加者同士のコミュニケーション、つまりフィードバックがものすごく勉強になるのです。

ビジネスの分野で活躍している人が、対人援助のプロの世界では“変だ”と思われるような質問すると、福祉領域の参加者からは「なんでそんな質問するの?」と批判というか、驚かれるような反応をされる。

福祉領域の人たちが「満たされない仕事だ」と吐露すると、ビジネス分野の参加者は「いつまでそんなことやるんですか?」「生産性がない思考だ」という感じを持って反応する人もいるわけです。

そういう中で、一旦ごっちゃまぜになった広い世界に身を置くことで、みなさんは何かをつかみとって、「また来年会いましょう」となるんです。

[なぜ、リピートするの?  そのことの意味]

30年にわたって毎年ワークショップを開催していると、リピーターがいらっしゃるというのも、とても面白い。

例えばご夫婦で参加されている方がいる。初めは奥様が来られていたのだけど、ワークショップでご主人に対して今まで気づいていなかったことが明確化されたりする。つまり妻は成長した。そうすると夫は今まで通りやっていこうとするのに、これまでの夫婦間のコミュニケーションや関係性のパターンが続けられなくなるから、夫婦関係が悪くなったりする。

ご主人は「一体これはなんだろうか」ってことで困って、今度はご主人もワークショップにやってくる。それでもって二人が同時にそれぞれの成長をとげて、お互い理解しあうということが始まる。

夫婦のこと、家族のことは、誰かが成長してパターンが変わると関係が良くなったり、悪くなったりと常に動いていくわけで、悪くなったときの関係改善のために、こんなふうにして続けてワークショップに参加される方もいらっしゃいます。

リピーターの方も多いですが、新規参加の方も一定数いらっしゃいます。

リピーターの方にも新規の方にも共通するのは”本当に一生懸命な人たちだということ。誠実でまじめ。すでにそれぞれの世界で一定の成果を上げていながらも、チャレンジをされていることに、私はいつも敬意を払っています。

だから、もっと何かを得たいというその熱心さに対して、私は皆さんが「あ、そうか」と心から思える新たな気づきを得てお帰り頂くということを一番に考えてワークショップをやっています。

なぜならば、自己成長レベルの人は気づきがあって、行動するから。すぐに行動するから、ワークショップに来る。ワークショップに参加する方というのは、そういう気づきと行動がすでにできている方なので、「あ、そうか」という気づきを糧にした自己成長レベルの変化を必要とされているのです。

私が若い頃のことです。禅で有名な総持寺に「禅の勉強をしたい」とご相談したことがありました。先方からは「すぐいらっしゃい」とのお返事。さて、そのとき、あなたならどうするか?

そこで「すぐ行く人」だったら禅を学べます。

「本を読んでから…」「まとまった時間ができたら…」「お金がたまってから…」とか理由をつけて、すぐに行かない人は学べません。

これが自己成長モデルの人とそうでない人との違いです。変わりたいと思う人は変わる取り組みをする。現状維持モデルの人は批判や問題提起はするけど、行動しない。だからBeingワークショップではお会いすることはありません。

例えば、ワークショップでも何でも、お金がなくて困っていても、変わりたいと思う人はそのための行動をします。受講費が高くて困っていたら、「分割払いにしてもらえませんか?」と言ってみる。これは実際に私がした行動です。そして、主催者の方が事情を理解して下さり、分割払いを許してもらえた。

確かに、瞬間的には”恥ずかしい”とか思ったりもします。でも、ワークショップに参加したいという意思がある人、すなわち自己成長モデルであれば、あの手この手の交渉のためのアイデアが浮かんで来ます。そして学ぶ者と学ばせる者の間にある真剣な対峙を知る主催者なら、こういったアイデアが通じるものです。

[私の大学時代に感じていた違和感]

自己成長モデルの方の発想や行動についてお伝えしていたら、「その場で浮かんだものを使うというアプローチ」の話にちょっと戻りたくなりました。

私が大学の学部生だった当時、臨床心理学の中心的な考え方はとても”精神分析的”で、違和感がありました。

とある有名な研究所のケース検討会に出ると、そこにはいないクライエントのことを、書かれたものによって解釈して、ディスカッションしている。私はそんなことして何になるの?となる。なぜなら、その人たちのことを我々は何もわからない。書かれた文章だけで「この人の問題は…」と言うことに傲慢さを感じました。

不登校のケースなのに、母親の話だけを聞いて、父親とは面接すらしていない。一方的な偏った情報だけでこんな解釈をしているケース検討会に、行くたびに私はうんざりしてストレスを感じていました。

ただ、検討会のあとに講師の先生の話を聞くのはすごく面白くて、そちらのほうがセミナーよりもはるかに勉強になりました。その先生たちの「地」の部分。本当の人格、人柄に触れるようなことが、私には本当に勉強になりました。学びを授ける側の熱意や葛藤を直に触れた経験は、今の私の中にも表れていると思います。

ただ、やっぱり分析的なことには私はすごく批判的です。”人間をそんなふうに簡単に分析するな、何様だ”と思いがある。

だから個人ワークの時にクライエントが見せる違和感に対して、とても敏感に反応します。クライエントの中に”あなた(堀之内)は私(クライエント自身)を大事に扱ってない”というのを感じると、すぐアプローチを変える。そして、解釈的なことは一切言わない。

そういう原点があって、”湧いてきたものを使う”というアプローチが培われたと思います。

……(続きます)

Beingワークショップの30年③(12月6日)

前回からの続きです。

[最近のBeingワークショップの特徴]

私のBeingワークショップは、初めての開催から30年が経ちます。

湧いてくるものを使う、というアプローチの面白いところはいろいろありますが、個人ワークをやった後、私自身は何をやったかという内容を全然覚えていないのもその1つです。

心の深層を扱うというのは、そういうことかなと思ったりします。

そして、そういう深い層から生まれてくる個人ワークというのは、かなりユニークです。

最近は「覚悟」のワークが増えているような印象です。

例えば、伝統ある家業を受け継ぐといった立場にいらっしゃる方がいました。その方には、会場のホテルでバスタオルを何枚も持ち寄って並べて、家系図に見立てて、その上を自分が身体を使ってなぞる、というようなアイデアが浮かんできて、取り組んで頂きました。ご先祖とつながることで、その方のビジネスへの覚悟が統合されるということです。

多分、こういう「覚悟」のワークというのは、ビジネスの世界の方の参加が増えてきたこととも関係しているのでしょう。

参加される方の職種が多様になったことで、私のアプローチというかアイデアも広がってきています。

ただ、一貫しているのは無意識と意識の間に水路を作ることで、その方がご自身の中にある潜在能力とつながっていけるようになるためのお手伝いです。「水路作り療法」です。

これについて詳しくは、新しいDVDでは「心の4層理論」としてご説明しています。

個人ワークをしているときに、私の中に湧いてくるものがクライエントにフィットしているか。

前回お示しした通り、精神分析的な世界、解釈の世界への違和感が原点となり、クライエントに対して私自身がペースをしっかり合わせ、自分が相手にフィットするように努めるということに敏感です。

ただ、相手に合わせて、相手の潜在意識にペースを合わせ、そうしている中で私に湧いてくるものをうまく使うには、私自身が自分の無意識にしっかり水路を持っている必要があるわけです。

[なぜ、私はそうできるのだろうか?]

私自身が自分の無意識との水路をどう作ったか…。

それは、簡単です。子どもの頃にいっぱい遊んだという経験です。自分の中に湧いてくるいろんなことを、自由に感じ取る場にあったかどうか。それが水路のベースです。

あまり大きな声で言えないけれど、例えば、人の畑に行ってナスとかトマトとかを食べたい!となったときに、子どもだからえいっと食べちゃう。そんな経験です。

子どもというのは発想が豊かでしょう。積み木1個でも、縦にして塔だ、横にして何ちゃらかんちゃらだっていう、ああいう状態が”水路が通っている”という感じです。

そういう「ありのままにやる」というような時間が五感を鍛える。個人ワークをやるときは、そういう「ありのまま」、つまりフリーな状態でいないと、相手との間に湧いてくるものをキャッチできないのです。

フリーな状態では一般社会の常識とかルールを外れて、心の最も原始的な、根源的な部分から湧いてくるものがあります。

だから、1人で追究してしまうと危険な面もあって、現実生活が脅かされてしまう。でも、ワークショップという非現実的な場に身を置いて、そしてトレーナー、私のことですが、導く存在がいるという状態ならば、破壊的なことにはならず、安心してご自身の水路を探っていけるわけです。

そして、こういうふうにクライエントが安全・安心にクリエイティブな取り組みができるようにサポートするのがトレーナーの責務です。

フリーな状態にしっぱなしでワークショップから帰してはいけません。

私が子ども時代に培った自由な発想。それとつながって、それを使ってワークをするという私の姿勢、水路が、ワークを受ける方の水路活性化しているんじゃないかと思います。

理論も実技も学びに学び、それを実践する。それでも、時には全然役に立たず、クライエントにも自分にもフィットしない、なんてこともあります。

それで、他の理論をまた勉強するんだけど、それでも上手くいかない事例に出会う。悩みに悩んで、どうしたらいいかと行き詰まった時に、ふっと思い浮かんだことを使ってみたところ、非常に効果的だった、ということが起きた。そこでその方法をまた使ってみる。するとやっぱり上手くいく。その繰り返しで、ずーっとやっているところです。

横浜でBeingワークショップをやり始めた頃は毎回体中が固くなって、緊張して、内科の病院に行って湿布を貼ってもらったりしながら…なんていうこともありました。

そのときは考えるワークショップだったから、私自身が自分の水路を活かせていなかったということです。学んだものを活かそうとする意識ですから、考えるワークショップでした。

今は思いつくワークショップ。浮かんでくるワークショップ。だから考えていません。

考えないで話を聴いているうちに、ふーっと必要なことが浮かんでくる。

“簡単な取り組みを今からやってみましょう。”

そういうことで、効果的なワークというのは進んでいくのです。

こうしてふりかえってみると、私に言わせれば、考えるっていうのは非常に表層的な世界です。

湧いてくる、思いつくというのはとても感覚的で、直感も働かせています。

こういうアプローチのためには、相手の方の中に湧いてくる、変化のための感覚的なメッセージを読み解く力を、鍛練していくといいと思います。

確かに学生時代、ユングの本なんかは随分読みましたし、原型とかの話は覚えているけれど、それを頭で考えて使っているわけではないのです。

ワークで湧いてくる、思いつくイメージが、ユングの原型のストーリー、例えばトリックスターの物語の中にもあったりする。

今、私はネイティブアメリカンの本を読んでいて、その中にも結構ユングの原型に重なるものがあって、とても面白い。

そういった人類共通の何か…それに気づいたユングにはあらためて敬意を払いたいところですが、とにかく人類が共有しているレベルの深い無意識から湧き上がってくるイメージというのが、個人ワークでは扱われるし、それがDoingやHavingではなく、Beingが豊かになるための糧なのですね。

イメージをどう扱うかが、力なんだと思います。

[発達凸凹があることは大事]

そういう力というのは潜在的には誰にでもあって、鍛練されて使えるようになるものだと私は思っています。

あと、ちょっぴり発達凸凹があるというのもいいと思っています。自分はこうだと思ったならば、そのことに突き進むような頑固さは大事にしてほしい。

もちろん失うものも多いのだけれど、Beingを扱う、深い層の世界に通じるというのにはとても活かされる。偏り、頑固さというのはワガママでもあるけれど、ある程度の知的能力を伴えば、信念になる。そういう信念が、新しい世界を広げていったり、何かを作り上げる要素なんです。まだそれが何なのかわからなくても、“こうだ”と確信できるというのは、自分の力を信じることにもつながっているのです。

誰かから評価されなくても、自分はこれをやっていくんだという力。友だちが自分と違う考えであっても、「だけど俺はこう思うんだ」と表現できる力。こういうのがこれからの時代、いっそう大事になると思います。

そういう偏り、頑固さ、その人なりの信念をもって生きていることに対して、私は敬意を払っています。だって、そういうものを持っていると生きづらいですから。私は身をもって知っています。

“それだけど、何かを求めて生きてるんでしょう?”

“ならば、その頑固さをどう上手に使うか。それをお知りになりたいんですね?”

“ならその活かし方を考えていきましょう。”

これが私のBeingです。

[特に、福祉領域について]

30年ほどやっていますから、例えば福祉領域の方なんかはリーダー格のかたも多くなってきました。

最初は介護の現場にいた人が相談員になり、そして人に教える仕事に就き、大学に行ったり大学院に行ったりして…大学の先生をしている人もいる。そうやってキャリアアップの場として気づきを得て、何をすべきか道を見つけ、大きな人生の決断をする。そういう自己成長の人たちの集まりであることには変わりありません。

そういった自己成長モデルの人たち、選ぶ力のある人たちが集まったのがBeingワークショップのグループの特徴です。

ワークショップのお誘いに「あ、これだ!」とピンとくるセンス、能力をお持ちの人たちです。だから、そういう人たちが集まると、個人ワークを受ける人に対して、他人事として見ないのです。冷めた目で見るということがない。自分のことのようにその人の取り組みを分かち合える力があるし、その力をはぐくむ場でもあるわけです。

昔、若い方が個人ワークの後のパーソナルフィードバックで「そんなのは誰もが持っている悩みだと思います!」と批判的な様子で言ったことがありました。未成熟な人たちのグループだと、そういう発言に対してネガティブなに反応しがちです。でも、自己成長モデルのグループだと、そういうこと発言も歓迎されるわけです。

「よく自分の考えを言ったね。」

そういうふうにして受け入れていく力が全員にある。で、そうやって批判めいた発言をした人は翌年どうするかというと、再受講なさるんです。成熟した人のグループの中で何かを学んだ、という感じがあったから、再び学びにいらっしゃるということですね。

我が事のように感じることによって、それをさらに深めて学んでいこうっていう取り組みだから、個人面接では決してできない学びです。

私との間の個人面接というのは、私の限りある中でしか学べませんが、グループというのはいろんな人たちがいるし、参加者の成熟の度合いによって、お互いの体験を受けとって、学ぶ量と質がプラスされていきます。だから、繰り返しになりますが、トレーナーである私からの学びだけでなく、参加者同士の間でたくさん学んでいかれるというのが、私のやっている取り組みなのです。

[Beingワークショップのこれから]

年々、参加者が増えているので、開催回数も増やしています。

1つのグループが大きくなりすぎると、どうしても参加者同士のつながりが薄くなりますし、私ももっとお一人ずつを丁寧に見たくなるからです。

同じ場所で5回開いてもいいところですが、私は全部変えています。北は岩手、南は宮崎。みんなでバーベキューをやるのが恒例の会場もあるし、全員集合の宴会をする会場もしない会場もある。日程的に行けるかどうかで選ぶ方もいるし、そういう会場ごとの雰囲気で選ぶ方もいる。そこにもまた選ぶ力、直感みたいなものが働くのですね。

だからでしょうか。他人の個人ワークも我が事として学ぶBeingワークショップということで、同じ会場に集まる方々が似たようなテーマをお持ちになっているという現象がよく起こります。ご縁というか、呼び合うのでしょう。

なので、色んな会場で、色んな催しを企画するのにも、私はたくさんエネルギーを注いで準備していますし、そのことに、とても満足しています。

人は1人では生きているのではなく、人とのかかわりの中で多くを学びながら存在しています。1人でしか学べないことも勿論ありますが、多くの人数でないと学べないこともあります。

例えば個人ワークでハグされるという体験があったとして、一人だけからのハグと、何人もからハグされるというのでは、受けとめ方が違うでしょう。多くの人と学ぶことには、こういう特別な体験のチャンスがあります。

自分と同じようにBeingを求めて学ぶ他の誰かの一言、誰かの態度。ワークショップを共に過ごすからこそ、そこに深い気づき、学びが生まれるのですね。

だから、私は個人ワークの時間、フィードバックの時間、そしてそれ以外の時間…すべてひっくるめてBeingの場を作り上げているのです。

私の取り組みが伝わりましたでしょうか?

ピンと来たみなさん、また来夏にお会いしましょう。

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